しみの治療で綺麗な皮膚が蘇る


しみの治療で綺麗な皮膚が蘇るブログ:17年09月15日


僕のママは、
すべてを受容してくれるような人でした。

僕が小さい頃、庭の草木に触れさせてくれたのも、
料理のお手伝いをさせてくれながら
手作りの智恵を教えてくれたのもママでした。

僕にとっては、
気持ちの中で拠り所になってくれるような人でしたが、
実家を出て20年も経つと、
ほとんど話をすることもなくなっていました。

自己主張することのないママは、
会うたびにただ微笑んでいて、帰りがけに何か食べ物を持たせてくれ、
いつも「さよなら」と言いました。

今思えばママは、
もう自立してしまったむすめに、今さら何をする必要もないだろう…と、
静かに僕を手放していたのかなぁと感じたりします。
それがまた僕には有難かったのかもしれません。

でも僕の心の中では、
何でも受容してしまうママに、
家族みんなで犠牲を強いている申し訳なさを感じていました。

ママが治る見込みのない癌にかかっていると知らされても、
当時の僕は看病をしようとするわけでもなく、
どう接していいのかわからずに戸惑い、
さらには、そんな自分を情けなく感じていました。

ママがホスピスに入った時、ちょうどお盆でしたので、
僕は帰省して、そのホスピスにママを見舞いました。

郊外の大きな病院の最上階にあるホスピスの明るい窓からは、
完成間近の瀬戸大橋が見えました。

「あれが瀬戸大橋やで」などと風景を説明するパパに、
ママは「家はどっち?」と聞きました。

普段からあまりにも執着心のないママだったので、
その言葉もさらりと聞き流してしまいましたが、
きっと住み慣れた家や、その周りの音や風景の中に居たかったのでしょう。

ホスピスのような恵まれた環境で最後の時を過ごせたのも、
とても幸せなことだったろうと思いますが…


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